2015年11月23日月曜日

不肖・三田登がモノ申す!(46)

追悼文
曽我正男さんの死を悼む

「戦争法案ストップ!八千代市民の集い」で挨拶する曽我さん
八千代市における「市民運動の顔」であった曽我正男さんが、去る11月22日に胃がんで逝去されました。ドイツへの旅行先で体調をくずし、帰国の翌日に緊急入院。末期ガンを宣告されていました。その約1カ月後、享年68才の早すぎる死でした。
心から御冥福をお祈り申し上げます。

私が初めて曽我さんと会ったのは2010年8月でした。「情報公開と市民の会」が主催する、自治体での財政問題に関する市民集会のビラを偶然、駅で受け取り、何となく集会を覗きに行ったのがきっかけでした。

当時は元日経新聞記者の上村淳三さん(現在は退会)が代表で、その日の集会では曽我さんが司会を勤めていましたが、実際は曽我さんの主導で進行されていた印象でした。

会の運動に共感した私は、その日のうちに曽我さんに電話をかけて「情報公開と市民の会に入れてください」と依頼し、快諾を得ました。その後、事務局長となった私との「名(迷?)コンビ」が誕生します。いま考えれば、あの日が、私が市民運動に関わり、結果として市議会議員になった契機となりました。

曽我さんは新潟の高校を卒業後、日本交通公社(現・JTB)で働き、傍ら同社労働組合の専従として活躍。その後、明治大学に社会人入学して卒業。大学院まで進む勤勉家でした。最近では裁判所の労働審判員資格を取得して活動の幅を広げていました。

この間に八千代市において展開された市民運動では、東京女子医大誘致(八千代医療センター)問題、新川ハコモノ建設計画の賛否を問う住民投票運動、豊田市長リコール運動、出直し市長選、市議選、9条の会、脱原発運動、安保関連法案廃止運動、市議会傍聴など、いつも中心的な立場で運動を指導してきました。

とりわけ、この間の安保関連法の廃案運動において、並々ならぬ決意で運動を牽引してきました。連日の宣伝活動、国会前行動など、近隣の市民運動団体からは「八千代市の運動はすごい」と評価を受けましたが、その立役者が曽我さんであったことは論を待ちません。

戦争法廃止!連日の宣伝行動に奮闘する曽我さん
曽我さんと出会ってから5年。決して長くはありませんが、濃密な時間を共有できました。

曽我さんのすごいところを一言で表現すれば「懐の深さ」ではないでしょうか。どのような立場の人にも胸襟を開いて接し、色づけをしません。だから相手も心を開きます。彼の人脈の広さと組織力はそこにあるのかもしれません。

私にとっては師であり、兄でもありました。だから私からのメールの冒頭は「曽我兄貴へ」でした。もっと、いろいろ教えてほしかった。もっと、酒を飲み交わしたかった。いつものように私を叱ってほしかった。しかし、もはや叶いません。

ここに書けないこともたくさんありますが、それは曽我兄貴と私の思い出として、しまっておきます。

曽我さん。志半ばのことはあるでしょうが、それは私たちが引き継ぎます。心から、「お疲れ様でしたと」言いたいのです。

合掌。

2015年11月9日月曜日

不肖・三田登がモノ申す!(45)

「高速増殖炉・もんじゅ」をただちに廃炉にせよ!

「もんじゅ」全景

 
動かぬままの「開栄丸」
去る11月4日、原子力規制委員会は定例会で「高速増殖炉・もんじゅは、日本原子力研究開発機構から、新たな運営主体を明示すること」を所管する文科省に勧告しました。

福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」は、「MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を使用し、消費した量以上の燃料を生み出すことのできる高速増殖炉の実用化のための原型炉」として1983年に着工、1991年に運転を開始しました。

しかし、いまだに技術的に成功していない代物です。これまで膨大な予算を垂れ流し続け批判されてきました。委員会の「組織替え」という勧告は呑気すぎる内容で、ただちに廃炉にするべきです。

1995年には、冷却材であるナトリウム漏洩による火災事故。2010年にも炉内中継装置落下事故。2012年でも約1万点の機器点検漏れ。2013年でも規制委員会から運転再開準備禁止命令。など、いまだに稼働できずにいます。もはや開発機構の体をなしていません。

安全面だけではなく、そもそも、ウラン価格は当時と違い安値となり、高速増殖炉の開発する経済的な理由はなくなっています。しかも実用化は事実上、不可能です。

それなのに、研究開発の事業費は実に1兆225億円(昭和55年度~平成27年度)、年間維持費が200億円という途方もない額です。

また、2006年に日本原子力研究開発機構が48億円かけて、核燃料サイクルの運搬を目的として造船された「開栄丸」は、毎年12億円の維持費がかかっていますが、過去5年間は1回も使用されていない始末。まさに税金を海に垂れ流しているのです。

安倍内閣は、国内の原発が稼働ゼロ時にも海外に原発の輸出を続け、この間、安全性が担保されていないのに川内原発、伊方原発など、原発再稼働をなし崩し的に推し進めています。「安くて安全」という原発神話が崩壊した今、原発とともに「もんじゅ」をただちに廃炉にすべきなのは明らかです。

2015年11月8日日曜日

不肖・三田登がモノ申す!(44)

~八千代市で「戦争法廃止!市民集会」が開催~
衰えない国民の戦争法廃止への声と行動!

多くの市民が参加しました。(八千代生涯学習プラザ・ホール)
11月7日、八千代生涯学習プラザにおいて「戦争法廃止!立憲主義をとりもどす市民集会」が、八千代・戦争法ストップの会、安保関連法に反対するママの会@やちよ、八千代9条の会、八千代革新懇の呼びかけで開催されました。

会場に多くの市民が参加するなか、大崎信・共同代表からの挨拶に続き、岩崎進吾弁護士(元千葉県弁護士会副会長)の「戦争法廃止に向けて」と題した講演がありました。講演の要旨は下記。

①戦争法の位置づけとして、日米軍事活動のための法律。戦争する国づくりに向けて大きく進んでいる。

②「推進側」の今後の課題として、武力行使との一体化は許されない憲法9条の縛り。増大する軍事費の確保。スーダンでの自衛隊の任務変更。

③戦争法に賛成している少数の国民も集団的自衛権を支持したのではない。

④60年安保以来の反対運動が盛り上がった理由は、一人一人の自発的な参加。それぞれの立場を尊重した上での一点共闘。

⑤今後の反対運動の立脚基として、国民は野党共闘ができ得ることを知っている。国民の中に廃案にしようという大きな動きがある。

⑥戦争法案成立前に野党共闘が続いたのは国民の反対の声を反映してのもの。今後も国民の戦争法案廃止運動の高揚があってこそ野党共闘が可能。

岩崎弁護士への質疑応答後、集会アピールと行動提起がありました。ただ、気になったのはアピール文で「閣議決定を撤回する政府をみんなでつくろう」と訴えていること。これは明らかに日本共産党の「国民連合政府構想」を指すもの。少なくとも、大衆的な市民運動体である「八千代・戦争法ストップの会」では意思一致されておらず、少し強引な印象を受けました。

行動提起では、①「総がかり行動実行委員会が提起している全国2000万署名の取組み②毎月19日の国会前行動参加③毎週水曜日の駅前宣伝④他の集会への連帯、参加。などが提起されました。

いずれにしても、今後とも継続して運動を取り組むことが求められています。アピールでも宣言してうるように「たたかいはこれからだ。戦争法廃止の声と運動は衰えていない」のです。

2015年11月4日水曜日

三田登と共に市政を考える会(22)

「三田のぼる・市政報告会」に25名の市民が参加。有意義な意見交換ができました!

市政報告会・1日目(大和田公民館)
去る10月31日と11月1日の2日間で「三田のぼる・市政報告会」が開催されました。様々な秋のイベントが重なったこともあり、前回より少な目ではありましたが、それでも25名の参加をいただきました。
報告会は両日とも2部構成で、前半は私の市政報告。9月議会での議案、発議、請願などの説明と結果報告。そして、私の一般質問の報告など。

当ブログでも既報のとおり、今議会は、八千代市政として2度目の26年度一般会計・特別会計決算不認定と、秋葉市長主導での公文書改ざんに対して、八千代市議会初の百条委員会が設置されたことが特徴的です。

後半は質疑応答。「農業交流センターの利用者は市の発表より少ない」「地域3図書館への予算削減、サービス低下は許せない」「不要な本の寄贈をもっと市民に呼びかけるべき」「溢水対策の進捗が分からない。市は住民との協議の場を作るべき」など、行政への不満の声が多く寄せられました。

そして、市議会への不信の声が毎回のように寄せられるのがこの報告会の特徴です。一言でいえば「議会は何をやっているのか分からない」ということだと思います。議会に関する情報公開が限定され、市民参加の場が少なすぎます。

市民は決して「市政に無関心」ではありません。内実のある市民参加型市政の実現に向けての責務が私にはあります。