2014年5月31日土曜日

なにやら四方山話③

「義を見てせざるは勇無きなり」とは
少し前のことですが、私が主宰している「三田登と共に市政を考える会」の会報を読んだという方から激励の電話をいただきました。私はそういう方には同意を頂ければ会ってお話しをするようにしていますが、会うことを快諾していただきました。

ある日、某喫茶店で待ち合わせ。相手は高齢の男性でしたが、なんと会社の社長さんでした。とても元気で博識な方でしたが、真っ先に聞かれたことは「学歴は?」そして「集団的自衛権をどう思うか?」でした。私は人様に披露するような学歴など持ち合わせていない浅学非才の輩ですから、最初の質問にはムニャムニャ言っていましたが、「集団的自衛権」についてはそうはいきません。

社長さんは「集団的自衛権の行使は必要だ。困っている人がいるのに何もしないのは問題だ。義を見てせざるは勇無きなりだ」と熱く語ります。私は、このブログでも論陣を張っている内容で反論しましたので不愉快な思いをさせたようです。大事な支持者を失ったかもしれませんが仕方ありません。因みに社長さんは何人も八千代市議を知っているとのことで、同様の質問をしたが、「こっちは地方自治なので…。と逃げて何も跳ね返ってこない。市議にはろくなのがいない」と憤慨していましたが…。

義を見て…は、孔子の「論語・為政」の「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり」から引用された言葉だったと思います。たしかに人として大事な気概ですが、今回の「集団的自衛権行使」での「義」の相手が誰なのか、何のためなのかが大問題なのです。米国の要請と、祖父への屈折した憧憬に取り憑かれた御坊ちゃま首相の戦争ゲームに駆り出されるのは、義の社長さんではなく、幾多の若者なのですから。


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