2013年10月27日日曜日

不肖・三田登がモノ申す!③

やっぱり危なすぎる「秘密保護法案」その②

1959年~60年に日本は「革命前夜」を思わせる安保闘争の高揚期にあった。その頃、私は4才だった。いきなり汚い話で恐縮だが、私が生まれて20才まで育った船橋市の農村部では「あっぽ」という方言があった。この地域では肥溜(こえだめ)を意味していた。それで記憶力の悪い私が今でも覚えている光景がある。

夕暮れの帰宅時間が迫る自刻に、自宅近くの空き地で遊び仲間数人と輪を作って「アッポ反対!アッポ反対!」とゲラゲラ笑いながらグルグル回っていた。そう、「安保反対」だ。アンポとアッポの音が似ていたので何となくそうなったのだと思うが、4才の幼児たちが安保闘争のなんたるかを承知しているはずもない。

しかし、「安保反対」という言葉が、いたいけな子供たちの耳にまで浸透していた。国民的課題として多くの人が安保問題を語り、安保問題に関わった。それは安保についての情報が全国に駆け巡り国民が問題点を知り得たからこそだ。

さて、安倍政権は、そのような状況を作らさないために「国民の知る権利」を圧殺し、日本の戦争参加への道筋を作る法案である「秘密保護法案」を10月25日に閣議決定し、国会に提出した。「おじいちゃん(岸信介)の轍は踏まない」決意だろうか。

法案は①防衛②外交③スパイ活動④テロ活動の防止として、行政機関の長が「特定秘密」に指定する。公務員が「漏えい」した場合は最高懲役10年。そればかりか行政情報を得ようとする市民活動にまで対象範囲は広がる。しかも第3者チェック機能を有しないたために、国が恣意的に都合の悪い情報を隠蔽し、それを追求した者が罰せられる危険性が極めて高い。これは明らかに戦中の如き悪法だ。政府は「国民の知る権利」を盛り込んだが、あくまでも「努力事項」であってアリバイ作りにすぎないことは明白だ。

政府は国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案も併せて早期成立の意向を示している。そもそもNSC構想は2006年の第一次安倍政権時にアメリカの意向に応じて協議されていたもので、集団的自衛権行使に向けたものであり、戦争参加へ国を導くだけの国民不在の国家機関だ。

これは「危なすぎる」どころの騒ぎではない。たとえば、われわれ市民が原発の問題点を指摘するために活動していたら逮捕される可能性もある。この時に訴えたくても、裁判所も内容を精査できない。まさに暗黒の時代に逆戻りだ。

これに対して日弁連、日本ペンクラブ、平和団体、労組などが抗議声明を出した。議席の数に任せて「やり得」とばかりに強権政治を推し進める安倍政権に立ち向かうには、野党はあまりにも脆弱だ。

こうなれば国民の基本的権利を守るために安保闘争時のような全国民的行動が必要だと思うのは「危険思想」ということになるのだろうか。



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